fgo-10

 時間が切り取られ額に飾られている、そういった風景だった。散策を終えて帰還したアーラシュを迎える部屋は、どこまでも静寂として冷えきり、一切の生気を喪っている。踏み出した音だけが部屋に響くも、すぐさまその姿を隠してしまう。アーラシュは椅子に腰掛けるものへと近づいた。男の眸には薄い皮膚が降ろされており、蜜色が淡い光を帯びることはなく、また、アーラシュの姿を映すこともなかった。胸元から濡れるようにこぼれ続ける光がある。血が流れるのと同じに光はこぼれ、しかし収縮して部屋に溶け込んでいく。この部屋は男からこぼれた光が織り込まれている。白く細い手を取るが、それは冷たくも暖かくもなく、保った部屋と同じ温度をアーラシュの手へと伝えている。アーラシュはそれへと声をかけた。一切の反応もありはしなかったが、怯え気味悪がる表情を浮べることもない。ただ静かに、そこに存在するだけだ。
 パラケルススはあまり目を合わせない男だった。アーラシュがどれほど視線を合わせようとしても、ふいと外し、どこか別の場所を見つめながら言葉を返してきた。その表情は常にぎこちなく、探るように言葉を選んで、どうにか逃げ出そうとしている。はじめはこうではなかったのに、と、いつからであろうか。アーラシュがパラケルススから目を離すことは少なかったというのに、その転機を思い出す事はどうしても出来なかった。
「どのように言ったところで、私の魂に純粋な部分は一片として残されてはいませんよ」
「自分を騙すってのは疲れるんじゃないか」
「……もし、あなたの目に映る私に純粋さがあるというのならば、それらはただの標本です」
 薄い唇が噤まれる。標本と、アーラシュは繰り返して、パラケルススの細い体が針で貫かれる様を思い画いた。白い服は彼の血によって染まるのであろうか、アーラシュには血が流れる姿を画くことができない、血よりも金の砂粒が崩れ出てきて、すっかり姿を消した後に彼の服のみが残されるような気がしたからだ。そちらの方が自然だと。服を射貫く矢が砂の上に倒れこんで、そして朽ち果てていく。うつくしい銀細工の施された針が、唐突に己の矢に切り替わっても思考とは突拍子もないものだ。アーラシュは驚くこともなく、どちらかといえば心地よい気分で唐突さを受け入れた。パラケルススの脆いからだを、損なうことなく射貫くために必要な力は、どれほどのものだろうか。ひそめた笑い声が耳をくすぐる。
「あなたもそんな目をなさるんですね」
 うつくしい笑みが、なにを含むわけでもなく向けられている。
「これは私の罪に対する裁きだ」とはパラケルススの思念になる。
 閉じられた目蓋の重みは、おそらく世界と同等なのであろう。だからこそ決して持ち上がることはなく、眸がアーラシュを映すことは永劫にない。透き通ったパラケルススの体に己の汗が落ちて、道筋を作り伝い落ちていく。胸元の光のように。柔らかく穏やかな光はいまだ溢れ続け、暗い部屋を薄く照らし出していた。淀んだ熱に動かされながらも、アーラシュはその光に舌を這わせる。その部位は僅かにほぐれていて、型が崩れるように厚い舌を招き込んだ。ほろほろと壊れた身が光の粒子となる、口内へと掬い上げ飲み込むと喉を滑り落ちる途中ですべて体へと吸収されていく。「テオフラストゥス」いやに白々しく声が響いた。パラケルススが呼ばれることを厭った名だが、彼には既にどうだっていいことなのだろう。
「おまえが罪業者であるのなら、おまえの両足からは力を奪われなければならい、おまえの両耳は塞がれなくてはならない、おまえの心は打ち壊されなくてはならない」
 最初は叫び声であった。ひどく鬱蒼とした森で、思わず驚くほどの、しかし抑えられた叫びが上げられた。パラケルススの声が引き攣って、断続的になり、喉が息で鳴らされるまでさして時間はかからなかった。これは私の罪に対する裁きだ、とはパラケルススの思念である。おそろしさすら感じる清らかな造形は、苦痛への感覚を失い茫然とした表情を浮かばせている。地面へ広がった髪と服とが眩しく映る。アーラシュの歯が、汗の浮かぶ首へと突き立てられると、破られた皮膚から血がにじみ出てその味が口を満たしていった。より深くへと注ぐように腰を押し付けると、パラケルススの体がこわばった。
「罪業者よ、なんじは脚でなにごともするなかれ、なんじは手でなにごとも能くするなかれ」
 アーラシュの魔力が数回に渡りパラケルススの体を満たすと、透けていた体はもとの質量を取り戻し、確かな重さで眼下に横たわっていた。光のこぼれる胸へと手を浸らせる。それから、首を撫で、頬に触れた。アーラシュの体温を移されても柳眉は歪むことがなかった。力の入ることがない体を持ち上げると、細い首が仰け反りさらけ出された。搔き切れと訴えるように白くかがやく首から目を背けて、アーラシュは浴室へと足を向けた。
 一体どういった原理で残されたのか、ついぞ分かることはなかった。なにかを引き起こすわけでもなく、時が経てば構成するマナを失って消えてしまうだろうそれを、アーラシュは同室だったよしみで受け取りたいと申し出た。調べたいことは調べきった後だったからか、何を言われるでもなくパラケルススの殻は、アーラシュへと渡された。斥候として数週間空けていた間のことだった。パラケルススは自身を霊基変還するように訴えて、数時間の対話の末に了承されたのだ。どういった会話が為されたのかは分かりはしも、何故パラケルススがそこまでするに至ったのか、残された殻を見つめたところで視れるわけでもなかった。ただアーラシュは夢見心地で言葉を射る、おそらくはそうなのだと。砂粒よりかは血のように流れ落ちるマナの光を見つめながら。