sd-18(セックスしないと出られない部屋)

「ぅ゛、ァ♡む゛り゛…ィ♡だめ゛ッッ!♡♡ゃ゛め゛…! ヒ、ッッッ♡♡♡゛———〜〜〜!!」
 と、いうわけでセックスしないと出られない部屋で池上は魚住とセックスをしていた。
「い゛っ゛て゛る゛ッ!♡ な゛、ァ、い゛っでるがら゛♡♡ 止め゛てぐれ゛ッ♡♡ や゛だァ゛あ゛あ゛♡♡」
 かといって始めからしようと思ったわけではない。二人で部屋の壁を叩くなりと紆余曲折を経たうえで魚住が言ったのだ。しよう、池上。巨体を縮めて震わせる魚住は続ける言葉を探しているようだった、どういうべきかを。やがて唇を引き結んでから静かに呼吸を繰り返し、つっかえながらも口にする。オレが受け入れるよ。池上はといえば顔からすべての表情が抜け落ちたのを感じていた。頭が真っ白になっていたのだ。その表情をみて魚住は眉を顰めて目を伏せると、すまないと呟いていた。いや、すまなくはない。返したものの実際に池上の喉は渇いて鳴るだけだった。なので魚住の肩を掴み捩じ伏せて、ふくよかな唇に噛み付いた。魚住のシャツを掴んだ己の手が僅かに震えているのに池上は舌打ちをする。脱げよ、と想像以上に追いつめられカサついた声が出て、池上はガキじゃねえんだからと溜め息をついた。
 池上亮二がバスケ部で出会った魚住純に対し、燻った感情を抱えて久しい。セックスしないと出られない部屋などとふざけた場所で、そんなものが叶うと誰が思うだろうか。結論として池上はがっついた。真っ赤に染まった魚住の体を引き寄せて、これでもかと貪った。気絶し重たく伏せた体に何度目かの射精をし終えてやっと己を止められたのだった。

「ッグ、う゛ぅ゛♡ア゛ッ、ひぅ゛♡♡♡」
 部屋を出てから、池上と魚住の関係は変わった。
 インターハイ予選敗退。そして部活引退。魚住は板前になるというし、池上も受験があった。だがまだ夏も目前の時期では持て余した時間しかない。たまに部活に顔を出しては今まで通りの練習をして帰る。その中で魚住のこわばった体と緊張した面立ちは、池上の側でしか表れないものだった。夕日が染め上げた道を歩きながら、ふと池上は魚住の腕に触れた。小さな声がこぼれ、一際大きく震えた魚住を見上げれば潤んだ目とかち合う。ほのかに色づいた頬を見ると池上は笑った。
 部屋の鍵をかける。魚住が来たときはいつもそうだった、勉強しようと真面目な理由でしか訪れなかったあの頃だ。二人きりであることを守りたかったのか何かは分からない。だが今は明確で、邪魔をされたくないからだ。己のベッドの上で体を捩らせて身悶える魚住との行為を誰にも邪魔されないために。
「ィ゛、グッ♡……ッッ! ッふ、ぅ゛くっ……、は……ぁ♡♡……ぇ、?」 
 太ももの痙攣に合わせて肉壁が窄まった。蠢いてしゃぶりつき吐精を促す魚住の体から伝播する渦に耐えるように池上は歯を食いしばると、深く息を吐き出して沸き立った熱を押え付ける。まだ時間がある。未だ軽く震えている腰を掴み直すと、狼狽したように魚住の手が池上の腕へと触れた。
「なんだよ」
 涙に埋もれ揺れる瞳が伏せられて、池上の腕を撫でるよう指先が小さく動く。幾度と繰り返すものの魚住が慣れる日は遠いのだろう。達したばかりなせいか力の抜けた魚住の体を引き寄せると、池上は再び隘路をくつろげる。両足が跳ね上がり池上の体を挟み込む。ぶぽっ、とローションが空気を巻き込んで大きく音を立てた。
「ァ゛、ぎぅ♡♡♡む゛、りッ、も゛う゛む゛り゛だッ♡♡ゃ゛え゛で、♡ャ゛ッ、ア゛ッ、あ、あ゛ぁ♡♡♡」
 肉壁を均し奥を抉りつけるたびに魚住は声を上げた。打ちつける衝撃で肺から吐き出された空気が自然と喉を鳴らして、むりだと言う割に気持ちよさで喘ぐ魚住へ、池上は健気さを感じた。
「な゛んでッ♡♡どま゛っ、な゛、あ゛や゛ッ……♡♡か、ら゛ぁ゛♡♡♡……ッ゛♡———〜〜〜ッッ♡♡♡」
「わるい、な、♡もう少しッ♡♡♡」
 ぐちゃぐちゃと後孔を掻き回して追い込んでいく。魚住の背骨がしなろうとするのを抱きつき押さえ込んで、池上は押し付けた腰を揺り動かした。最奥のくびれた壁は亀頭で撫で回して捏ねると、むちゅ、と吸い付いてより池上を奥へと誘う。開けろよ、池上が呟いて強く揺さぶれば、グヂュン!と勢いよく嵌り込み、魚住の体はより大きく震え上がった。
「イ゛ッッ!!♡♡ぉ゛!ッッ゛♡ぎぃい゛、ッ♡ッ♡あ゛、ヒュッ♡♡……〜〜〜♡♡♡」
「あ゛〜〜〜ッ、射精る゛ッッ゛♡♡魚住、ッッ!!♡♡」
 バチュバチュと結腸をいたぶった末に池上は射精した。痙攣の続く魚住の体にぐったりと凭れかかると、激しく脈打つ胸に耳を当てる。皮膚に浮かんだ汗でべとつく体はしかし異様な心地よさがあった。
 魚住、呼びかけるも反応はなかった。気だるさを引きずって身を起こし、己と魚住がつけたゴムを外していく。でっぷりと溜まった精液に鼻で笑う。まとめてゴミ箱に捨ててから、体を拭くための湯とタオルを求めるべく投げ捨てられたシャツを着るのだった。
「……魚住のかこれ」

 つまるところ、二人はセックスをする間柄となっていた。池上は眉を下げて体を緊張させる魚住の初々しさに苦笑している。どれほど体を重ねても、魚住はいつだって初めて行うのだというようにぎこちないのだ。それが良さでもある、だがもう少し慣れてもいいのではないだろうか。菅平にあれこれと教えている魚住を眺めながら池上は独り言ちた。
「ありゃ、また来てるんですか」
「お前がだらしねぇからだろ」
 体育館のドアを開けて仙道が顔を見せた。田岡先生がいなくてよかったな。続いた池上の言葉に、ラッキーと返して仙道は靴ひもを結び直している。
「じゃあオレがだらしないままなら魚住さんはバスケが続けられるんだ」
「んなわけあるか」
 滑り落ちた声は思いの外に冷たく響き、誤魔化そうと「板前になるんだからよ」続けるもそれすらどこか固く空っぽな言葉に聞こえた。結び終わったのだろう立ち上がり体を伸ばすと、仙道はコートに駆けていった。魚住は呆れた顔を浮かべながらもボールを投げ、腕を広げて菅平へ何やら伝えている。二度、三度とボールを弾ませ距離を取った仙道が振り向き、
「あ、ありがとうございました」
 息を荒げながらコートに倒れ込んで礼を伝える菅平を魚住は軽々と引き上げる。よくやったと口が動いていた。嬉しそうな顔だった。
「魚住!」
 呼びかけると魚住は顔をあげ池上を見る。それからゴールを見上げて、惜しむかのように目を細める。部員たちに声をかけてから池上の下へと戻った魚住は、ゆっくりと、帰ろうと口にした。
 海岸線を影ばかりの電車が走る。時刻表を思い出し、あと15分は来ないと池上は少し後ろを歩く魚住を見上げた。突然振り返ったことに驚いたのか、魚住の肩は跳ねてショルダーベルトを握る手に力が込められていた。緊張したかのように足を止めて池上を見つめている。その顎に浮いた汗を見て、池上は握りしめられた魚住の手へと手のひらを重ねる。息を飲み後退った歩幅に合わせて踏み出し口にする。
「シねぇよ」
 重ねた手の力が抜け、何かを言いあぐねるかのように口を動かして魚住は頷いた。眉を下げて目を細める、恥じらうかのように唇を引き結んだ姿に池上はまた一歩踏み出した。互いの距離がますます縮まる。狼狽えた声がいくつも欠片として落ちて、魚住は行き場がないと言いたげに落ちつきなく目を彷徨わせ、やがてそっと池上と目を合わせた。
「い、けがみ……」
 たどたどしく熱の篭った音だった。伺う視線すら受けて、池上は触れていた手を離すと両手を伸ばし魚住の顔を挟んだ。頰骨を親指で撫で上げると、切りそろえられたもみ上げを過ぎてふくよかな耳がある。耳輪を撫でると、魚住は僅かばかり呼吸を乱し始める。息の漏れでる唇に噛み付いてやろうかと池上の中で轟々とした感情が渦巻いた。
「土曜、家来いよ」
 両手を離すも手のひらには魚住の体温が後を引いている。再び強く握られる手を見て、慣れないやつだなと池上は口にする。それは想像よりも柔らかな響きだった。
 
 掲げられた魚住の手からボールが滑り落ち、そのまま顔にぶつかりバウンドする。よろめいて足をついた魚住が顔を押さえて頭を振り、側にいた後輩達が心配げに駆け寄っている。金曜のことだった。池上は僅かにくすんだ魚住の鼻を指で突くと、意識しすぎだろと呆れて言った。ベッドに腰掛けた魚住は、まだ鼻が痛むのか目にうっすらと涙を浮かばせて、誤魔化すように口を歪めている。窓から差し込む昼の日差しが、浮かんだ涙を目立たせている。先日の光景が過り、ベッドに沈ませた魚住へと勢いよく噛み付いて、池上は苦しげな息を貪った。一気に体をこわばらせ魚住は試合中の滑らかさを忘れたかのように固くなる。舌を弱く噛み、吸って、また深く口を重ねると池上は己の舌で魚住の口内を弄っていく。シャツを脱がして体を撫で、緊張をほぐすようにくすぐってみせる。
「ひっ!♡ッ、ぁ゛ッ♡ぅ゛ぐ、♡っは、はふ、♡♡」
 存分に舌をいたぶって離せば、魚住はぼんやりとした目でどこかを見ていた。ベルトを外して脱がせていく、臍から指でなぞり、まだ柔らかな陰茎を握り込む。扱き上げていくと腰が浮き上がり魚住は目を閉じて呻いた。緩やかに勃ち上がりとろとろと汁を零し出す、腹に落ちて線を引き、ぬるりと光っていた。
「はッ、あ゛ッ♡♡ぅ゛ぅ゛——ッ♡」
 ぐっと引き上がる玉と打ち震えた陰茎がびゅくびゅくと射精するのを池上は見下ろしていた。魚住の体にべったりとついた精液は、その鍛えられた体の溝へと滑り落ちていく。痙攣する体はコートでは見ることがないものだ。ボールの跳ねる音が響いて、思えば池上は長らく魚住を相手にしていなかった。
「ぎ、ィ゛ぅッ♡♡ハッ、は、ァ゛ッ♡ア゛ッ゛♡」
 池上の指を舐る後孔の様相は魚住の初々しさに反して、すっかりと慣れきりくずおれたみだらさがあった。にゅぶり、と食んで、柔らかな肉壁できゅうきゅうと縋り付いてくる。指を折り曲げ間接を擦り当て開かせていく。ときおり太ももが震え、中がくぅと窄まって、池上はそれすら勝手知ったると刮いでいくように指で割り広げていった。
「や゛ッだ、ぁ゛あ゛あ゛♡♡♡も゛、ひグッッ゛♡♡♡」
 再び勃ち上がった陰茎からは先走りがだくだくと溢れて、射精を促すように前立腺を押し上げ擦り付ける。魚住が大きく息を詰まらせた。のけ反って、足がまっすぐに伸び、腰が浮き上がって、肋骨を開くように胸が張られて、喉はさらけ出されていた。そうして勢いよく吐精をする。
「ッ゛————〜〜〜〜!!♡♡♡」
 二度、三度と体が震えた後、ベッドは深く沈み込む。荒い呼吸を繰り返しながら魚住がはくはくと口を動かしている。ふ、と池上はどこかで公園に行こうと考えた。昔のように勝負をするのも悪くない。
「……ぃ、け、がみ、」
 今度公園に行かないか、と言う前に池上の名が呼ばれた。両腕で顔を隠した魚住は、呼吸を落ち着けようとしていて、呼びかけた池上の名は、ただ口にしたのでなく何かを問う時と同じであった。とろとろにほぐされた後孔がひくついて、池上は言葉を待ちながらも魚住の両足をゆっくりと開いていく。再び池上の名が呼ばれ、鼻を啜る音が混じった。魚住が泣いて、
「……もっ、もう……戻れ、ないのか?」
 魚住は池上との関係が変わったとは信じたくなかった。
「お……オレたちは、あの部屋から出ただろ……」
 あんな部屋で、たった一度のことなんかで変わったのだとは。
「こんなことはしなくていいはずだろ」
 魚住と池上は友人なのだと、信じていた。もし何か変わってしまっていたとしても、二人は元に戻れるのだと。魚住にとって池上は何ものにも代え難い友人で、決して失いたくはなかった。幾度と魚住を荒らしていこうとも、その思いが変わることはなかった。だから池上が戻ることを待っていた。そもそも魚住が部屋から出るために、足掻くことをやめて池上を誘ったことが始まりだ。あのときの池上の表情を思い出すたびに、魚住は後悔ばかりが胸に募っていく。だというのに、魚住は己の弱さが憎かった。池上が戻らないうちに耐え切れなくなったことに。覆い隠した視界では池上の様子は窺うことができない。その中で、深い溜め息が聞こえ、あの部屋で聞いたものと同じに重たい気配を伴っていた。
 ぬ゛ぢ、と魚住の体は殊更ゆっくりと割り開かれていく。
「は、あ゛! ま゛ッ、————!」
 ずるずると池上が体を合わせて、魚住は両手を伸ばして止めようとした。池上の体に手が触れ、開いた目がその顔を見て、魚住は息を飲んだ。まるで小さな存在になったかのように魚住は抵抗ができなかった。ただただ肩に引っかけただけの指が震えて懇願をするだけだった。池上は少し首を傾げ、それから窓に目をやってから、再び魚住を見た。その目が何を考えているのかは、魚住には何もわからなかった。最初の時のように、今までのすべてが遊びだとでもいうように、魚住には目まぐるしい暴力が降ってきた。
「ぅ゛、ァ! む゛り゛…ィ、だめ゛ッッ! ゃ゛め゛…! ヒ、ッッッ゛———!!」
 池上の舌打ちが聞こえると、更に強く突き上げられる。奥をひたすらに責め立てられて、体をぐちゃぐちゃに潰されているようだった。
「い゛っ゛て゛る゛ッ! な゛、ァ、い゛っでるがら゛! 止め゛てぐれ゛ッ——や゛だァ゛あ゛あ゛!!」
 脳が弾けて、それらが体全体に満ちている。どれだけ泣き叫んでも池上が止まることはなく、やがて限界を超えたのか魚住の意識は千切れていった。

 そうかよ、と池上は言った。目が覚めたとき魚住の体は食い荒らされたままで、震えながら皺だらけになった服を着ていく最中だった。そうかよ。聞いたこともない声で、魚住の全身は冷え切っていた。
「お前にできるんだな」
 反射もあったが魚住は何度も頷いてみせる。ややあって立ち上がった池上は部屋の鍵を開けた、開いたドアの向こうに見知った廊下が見えて魚住は一息をついた。
「またな」
 その声は三年間よくよく聞いてきたものだ。魚住のかたわらでいつだって支えてくれた友の声だった。

 田岡の怒号と、部員たちが張り上げた声は外まで聞こえていた。体育館を見上げてから魚住は踵を返す、そうそう顔を見せていても仕方ない。未練がましさを振り切るように踏み出したとき、池上の姿が見えた。
「なんだ、今日は帰んのか」
 魚住は幾度かの思案ののち誤らないようにゆっくりと頷いて、それを見ると池上は背を向けた。足が動かないままの魚住を置いて数歩進んでから、止まり、振り返る。魚住は大きく肩を震わせた。池上が何を言うのかが分からず、思わずショルダーベルトを強く握る。
「帰るんだろ」
 オレに付き合わなくたっていい。ああ、一緒に帰らないか。そのどれを伝えれば池上が変わらないのか、はくはくと口が空回る。結局、頷くことしか出来ず、魚住は逸る鼓動を抑えるように目を細めた。いま、池上はかつての姿だった。二人の関係は元に戻ったというのに、自身がこれではと焦燥し魚住は何度か意味のない音をこぼして、池上へ目を向ける。そこには呆れるでもなく待っている影がある。池上はよく魚住を待った。過去、そのままの姿だ。
「いけがみ、」
 この言い方だったろうか、間違ってないだろうか、魚住の姿勢は池上をそのままにしておけるだろうか。
「なんだよ、やっぱ行きたいのか?」
 しかたないと言いたげな顔で笑われ、魚住は大きく息を吐いた。間違えなかった、握る手を緩めかぶりを振る。鈍く踏み出した一歩は以前より重くなく昔ほどは軽くない。池上より半歩遅れて魚住は歩く。次に何がくるのか、何をすべきかを、考えなければならなかった。そうこうしているうちに気づけば駅についていて、人集りの中だった。記憶の中で間違えなかったかを必死に思い起こそうとするも、薄ぼんやりとした夕焼けしか出てこない。
「じゃーな」
 片手を上げて改札へ歩いていく池上の背中へ何を投げかけていたのだろうか。

 夏が過ぎても池上が変わることはなかった。だがそもそも二人が会うことはめったになかった。池上は勉強があり、魚住も父親のもとでものの扱いを教え込まれていたからだ。二学期の始まりもあまり顔をあわせず、どこかでこのまま過ぎ去ることを望んでいると魚住は気がついた。そして池上と共に歩くのは、いつだって魚住が呼びかけたからだと思い出した。黒板で増えていく数式を眺めながら、このままでいいのかと自問し、授業が終わると池上のクラスへと向かった。
「一緒に帰らないか」
 ああ、と池上は答えた。
 帰り道は勉強のことだった。それから部活の後輩たちのこと。魚住は考え得る限り友人との会話を口にしていき、池上は都度短く答えていった。こう、だった。魚住が話すことに、池上は短く返して、それは二人に何もなかったころと同じだった。
「魚住」
 秋口の夕暮れは突然景色を変えていく、先ほどまで夕日を浴びてかすかに赤く色づいていた池上の髪は、日没後の暗がりがかぶさって普段よりも色濃く見える。そろそろテストだろ、と池上は続ける。
「土曜、家に来ないか」
 街灯の明かりは僅かに遠く、夜空の見え始めた中では池上の表情を伺い知ることはできなかった。魚住は喉を詰まらせた。池上の、と小さく呟くと体温が急激に失われていく錯覚があった。
「あ、ああ」
 ひどくひび割れた声だった。乾いていた。だが池上は元に戻っている、ここで魚住が行かない理由はなかった。いつもテストが近くなると池上の家で勉強をしていたからだ。元の二人なら行うことだった。魚住は間違えるわけにはいかなかった。

 通された部屋に変わりはなかった。三年間訪れてきて、一度として変わったことのない光景だった。池上は決めた物以上に何かを増やすことはしないのだといつかに言っていた。壊れたら同じものを買い、ないなら似たものを揃えると。だからいつも池上の部屋には同じものが同じ場所にあった。あの日以来、魚住は以前通りの場所に座る。手が震えていた。早くなる鼓動を抑えるようと殊更意識してゆっくりと呼吸を繰り返す。
 鍵のかけられる音がした。
 体が意思に反して跳ね上がり、魚住の頭は混乱し始める。ここまできたのに、とまとまらない感情があった。池上はなにもおかしくなく、前と同じに魚住を誘ったはずだった。信じられない気持ちで魚住は池上を見上げた。
「な……なんで、鍵、かけるんだ」
 池上は黙っていた。落ち着きをなくした魚住を観察しているようでもあった。
「三年経って聞くのかよ」
 魚住に近づく足音一歩ごとに、耐えていた恐怖があふれ出していく。池上から目が離せず動けもしない。自然と涙が溢れていた。ぼろぼろとこぼれて、体の震えが止まらなかった。いやだ、とくずおれた吐息に混じって声が落ちる。
「よく分かったろ。オレたちは戻れねえよ」